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【書評・感想】20歳の自分に受けさせたい文章講義はいつ読んでも大丈夫

「20歳の自分に受けさせたい文章講義」を読んでみました。

20歳の自分に受けさせたい文章講義

見てのとおり私はブロガーで日々文章を書いているわけですが、なかなか文章力が上達しません。

一番困るのは遅筆であるところです。

人と話すことはどちらかというと苦にならないのですが、文章で書こうとすると筆がなかなか前に進みません。

こういう人って結構多いんじゃないでしょうか。

そんな人に向けて書かれた本が「20歳の自分に受けさせたい文章講義」です。

本書は

「話せるのに書けない!」人のための”文章授業”である

と高らかに宣言しています。

非常に頼もしい限りです(笑

本書は5部構成になっています。

・ガイダンス
・第1講 リズム・・・読みやすい文章に不可欠なリズムとは?
・第2講 構成・・・・文章はどう構成すればいいのか?
・第3講 読者・・・・読者を引きつける条件とは?
・第4講 編集・・・・編集するとはどういうことか?

それぞれの内容を簡単に紹介していきます。

ガイダンス

どうすれば文章が書けるのか?

どうすれば自分の「感じ」や「思い」を、文章として正しくアプトプットできるのか?

この難問に対して筆者は

書くことをやめて「翻訳」すればいい

と主張しています。

文章って自分の頭の中にあるものを具現化する行為ですよね。

筆者はその頭の中にあるものを「ぐるぐる」と表現しています。

そして、「ぐるぐる」を伝わる言葉に翻訳したものが文章であると。

筆者はフリーライターをやられているようで、ある数学者への取材が翻訳という言葉に行き着いたきっかけだったそうです。

数学が大の苦手だった筆者に、その数学の先生は身振り手振りを交えて数学という学問の面白さをわかりやすく語ってくれ、その取材原稿を書く際に、頭に思い浮かんだ言葉が翻訳である、と。

第1講 リズム

文章を語るとき、必ずといっていいほど登場するのが「文体」という言葉。

筆者は「文体は考えれば考えるほど正体不明」と言っています。

そして、「文体とはリズムである」と結論づけています。

ではリズムとは何か。

リズムっていう言葉自体も何かふわふわしたものに感じてしまいますよね。

思いつくのがセンテンスの切り方、句読点の打ち方、改行のタイミングなどですが、そんなものはリズムの本質ではないと一蹴されています(笑

ではリズムとは具体的に何を指しているのか。

それは以下の3つとなっています。

・論理展開が正しい
・視覚的リズム
・聴覚的リズム

論理展開に関しては大きく頷けるところです。

前後がうまく繋がっていない文章は読みづらいですし、どんな文章にもストーリーがあるので。

そのストーリーがうまく展開されていないと、読者は戸惑ってしまいます。

視覚的リズムに関しては、以下のような具体的な方法が書かれています。

・1行の間に必ず句読点をひとつ入れる。
・最大5行あたりをめどに改行する。
・漢字とひらがなのバランスを考える。

本質ではないと切り捨てられましたが、やっぱり重要ですよね。小手先のテクニックとして。

聴覚的リズムに関しては、読点の位置や言葉の重複に気をつけよと。

第2講 構成

第2講は構成についてです。

序盤でこのように言い切っています。

文章の面白さは、ひとえに構成である。論理展開である。

確かにどれだけ素材が良くても、構成を間違えば台無しになってしまいますからね。

本書では料理に例えて

「火の入れ方を間違ってはいけないし、塩と砂糖を間違ってもいけないのだ」

と書かれています。

そして、「カメラワーク」という考え方で構成することをすすめています。

独特な考え方ですが、筆者は学生の頃に映画監督を志していたそうで、その経験からこのようなやり方を実践しているようです。

具体的なやり方として、まず文章を導入・本編・結末に分けます。

それぞれでカメラワークを意識し、導入は客観のカメラ、本編は主観のカメラ、結末は客観のカメラで文章を構成していきます。

客観のカメラ、主観のカメラってなに?

と思われるかもしれませんが、ドラマや映画のはじまりを思い浮かべてください。

ドラマがはじまる前に必要なのは「今からなにがはじまるのか」の説明です。

学園ドラマであれば、そこが学校であることを説明する必要がありますよね。

ドラマや映画などではよくある手法ですが、文章でも同じことが言えるということです。

本編に入ると、主人公目線のカメラに切り替わり、様々なイベントが主人公を通して描かれます。

結末になると、物語の終焉を少し引いた視点で描くことになります。

この手法に関しては、無意識にやっている人も少なくないんじゃないでしょうか。

私もブログの記事を執筆する際に、たまに使っていることに気づきました。

意識的にっていうのがポイントですよね。

このように論理的に文章として書かれていると、より整理してカメラワークの手法を文章に役立てられそうです。

第3講 読者

 3 講を一言で表現すると、「読者を意識して文章を書きましょう」という話です。

これに関してはブログを書く者としても、耳の痛い話です(笑

文章を書くということは、当然誰かに向けてということになります。

その誰かについて、本書では以下のように書かれています。

「我々が本当の意味での”その椅子”に座れる読者は、世の中に2人しかいないとぼくは思っている

次の2人だ。

①10年前の自分
②特定のあの人

10年前の自分については、なんとなくイメージできるんじゃないでしょうか。

昔の自分に比べて、今の自分は経験と知識を身につけ成長してきた。

その今の自分が昔の自分に向けて「こうしろ、ああしろ」と教えるわけです。

今の自分の経験と知識のままであと10歳若かったら・・・って思うじゃないですか。

それって言い方を変えると、過去の自分にもし会えたら伝えたいことがあるってことですからね。

ちょっとわかりにくいのが「特定のあの人」です。

これはブログの記事を書く上でもよく語られることです。

多数派に向けての記事よりも、少数派、もっと言ってしまうと「特定の誰か」に向けて書いた記事のほうが面白い内容になるっていう話ですね。

これに関しては、ブロガーとしてはジレンマを感じていますが。

確かに多数派に向けた記事は、当たり障りのない内容になりがちで主張も弱いです。

ですが、特定の誰かに向けた記事はどうしてもニッチになってしまうんで、評価は高くてもあまり読んでもらえないんですよね。

あとで読み返して、自分でも面白いと思う記事は特定の誰かに向けたような記事なので、余計に悩みます。

第4講 編集

最後は編集となっていますが、一般的には「推敲」のことです。

「ハサミを使った”編集”こそが、推敲の基本」とあります。

どういうことかというと、書いた文章を読み返して、必要ない部分は躊躇なく切り捨てようということです。

これまた耳が痛すぎて、耳鼻科に通うレベルです(笑

これに関しては、おっしゃるとおりだなと。

ブログの記事を書いたあとで、「この文章必要かな」と思うわけです。

でも、せっかく書いたんだから消すのは勿体無い。

なので、残しておこう。

これ、まったく読者を無視した行為です・・・。

少なくとも私のブログに関しては、「価値ある文章を読者に」が基本姿勢なので、言い訳のしようがないですね。

もちろん、くだらない記事はたくさんありますが「価値あるくだらなさ」だと思って書いてますんで。

どれだけ真面目に時間を割いて書いても「必要のない文章」は読者にとっては無価値です。

まとめ

文章を書く者として、読んでよかったと思える本でした。

正直なところ、「まさに目から鱗」となるような衝撃的な内容ではなかったです。

ただ、無意識にやっていることを体系的にまとめられた文章として読むというのは、かなりためになるんじゃないかと再認識させられました。

それ以外にも文章についての気づきも得られましたし。

現役のフリーライターの方が書かれていますので、より実践的な講義で、今後に役立てられそうな良書でした。

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